過去の地盤の沈降
2011年の東北地方太平洋沖地震では、宮城県石巻市など沿岸部の広い地域で地盤の沈降が起こりました。70㎝以上沈降したところもあり、地震後の大潮や台風などのたびに浸水が繰り返され、復興の妨げになっています。
地震に伴った浸水は多くの人を驚かせましたが、高知では過去の南海地震で繰り返し地盤の沈降と浸水が記録されています。宝永、安政、昭和のいずれの南海地震でも、高知では1~2mも地盤が沈降しました(左図)。さらに、西暦684年の天武南海地震においても、「土佐では田苑50余万頃(約12km2)沈下して海となる」という記載が「日本書紀」に残っているのです(今村、1941)。
図29.(左)過去の南海地震による地盤の隆起と沈降量(河角、1956より宇佐美、1996)
図30.(右)昭和南海地震前(1929-37年)と後(1947年)の水準測量からみた地殻変動量
(鷺谷、1999)
南海地震にともない、須崎、高知、甲浦から紀伊半島の尾鷲などの東西に延びた地域が沈降し、反対に足摺岬、室戸岬から潮岬にかけての地域は隆起することが明らかになっています。一方、地震以外の時(準備期間)では反対に、高知などの地域でゆっくりとした隆起、室戸岬などの地域ではゆっくりとした沈降が続いていることも知られています。
地震にともなって広域にわたって地殻変動がおこることは珍しいことではありませんが、この高知を中心とした西日本に広がる隆起と沈降は海外の変動地形学の教科書にものってしまうほど特徴的なものです。
図30は国土地理院の水準測量の結果なので、ここに示された値は精度の高いものです。しかしながら測量を行った時期が地震の直前・直後ではないので、地震時の変動量はもう少し大きかったと思われます。次の南海地震の際もこれと同様な、しかしもっと大きな地盤の隆起と沈降が見られると考えなくてはなりません。