大池、船越池、大白池 2000年8月

東南海地震の津波の化石を求めて、熊野灘に面した尾鷲市の大池、海山町の船越池、尾白池でコアリングを行いました。これは東大地震研の都司さんのグループと、浜名湖から紀伊半島にかけての沿岸域で、ここ数年行っている共同研究の一環です。一週間の調査は、引っ越し屋のバイトか、体育会の夏合宿かといった様子になりました。

大池は熊野灘に張り出した半島の先端部にあり、周辺にはかつて集落があったのですが、津波の被害から逃れるためにその土地を離れてしまったそうです。いまはほとんど誰も訪れない、鵜の楽園です(糞が臭いので人間には楽園とはいえませんが)。

ここで調査を行うためには、まず漁船をチャーターして荷物を海から運んでもらわなければなりません。池の近くの海岸には港がないので、小船に乗り換えて着岸します。さらに海岸から200mほど歩いて池にたどり着くことができます。 つまり2トントラック一台分の調査機器をトラックから漁船、漁船から小船、小船から海岸と移し替え、さらに海岸から池まで人力で運搬しなくてはなりません。そして機材を組み立てて、やっとコアリングを行うことができます。さらにコアリングが終わったら、まったく逆の手順をもう一度くり返し、トラックに荷物を積み込んでひとつの池が終了となります。

船越池と大白池の堆積物からは、残念ながら津波の痕跡を見つけることはできませんでした。大池では3本のコア試料を採取し、約3mの主に泥からなる堆積物中に9層の薄い砂層を確認することができました。年代測定の結果、これらは約700年前から2500年前に堆積したものであることもわかりました。
砂層があったから津波だ、地震だと簡単に結論づけることはできませんが、今後も研究を進め、過去の津波の歴史を明らかにしたいと思います。

荷物といっしょに船で運ばれていきます。

海岸への荷下ろし作業。円礫のとても美しい海岸です

大池でのコアリング風景。後ろが熊野灘で、ここから津波が入ってくると考えられます。

ほとんど川口浩探検隊の世界。

これは、船越池の忍者です。

大白池の脇の海岸で、疲れ果てて愛想笑いもできない労働者たち。

この階段は実は地震の時に海岸にいる人達が津波から素早く避難できるように幅広く作られたすぐれものの階段なのです。

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