Photo Gallery - Part 4  バンダアチェ(スマトラ)編

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 2004年12月26日にスマトラ沖で発生した巨大地震は,インド洋沿岸諸国に甚大な津波被害をもたらした.中でもインドネシアのスマトラ島北西端に位置するアチェ州では,高さ10mを超える津波が沿岸部を襲い,多数の人命と財産が失われた.被災地はいまだ一面の瓦礫と泥の山で,復興はいつの日になるのか,予想もつかない.


 科学技術新興調整費の支援を得て,名古屋大学と共同でバンダアチェ周辺のGPS観測を実施した.これまでにもインドネシア国内で共同研究を実施しているバンドン工科大学と,バンダアチェ市にあるシアクアラ大学地球物理学科の協力を得て,計12点で観測を行った.しかし,津波により道路や橋が破損し,陸路による移動は非常に制限された.また,三角点そのものの破損や水没もあり,観測は容易ではなかった.


 下図は今回観測を実施した点を示す(名古屋大学大学院のIrwan Meilano氏作成).日本人とバンドン工科大,シアクアラ大学の混成チーム11名は,バンダアチェ市を根拠にして8点で臨時観測を実施し,シアクアラ大学構内に連続観測点を設置した.観測点0280より南部は道路が不通で到達できなかった.



 2005年3月1日,日本からジャカルタ経由でバンダアチェに到着した.インドネシア政府軍とアチェ独立解放軍との戦闘が続いていたアチェ州は,これまで外国人が立ち入ることはできなかった.現在は災害復興のため特例措置となっている.ただし,ホテルは地震の被害を受け,ほとんどが営業していない.民家に宿泊することになる.


 バンダアチェ空港.今まで1日数便のみのローカル空港だったが,現在は災害援助関係者を運ぶ定期便と,援助物資を運ぶ輸送機やヘリコプターでにぎわっている.
 到着した翌日,シアクアラ大学で地球物理学科スタッフと今後の観測計画について協議する.道路がどこまで通行可能か,船は使えるか,治安は大丈夫か,等が話題の中心だった.
 シアクアラ大学地球物理学科には地震や測地の専門授業がない.バンドン工科大学から名古屋大に留学中のIrwan氏が,学生にGPS測量の初歩を講義する.分厚いテキストブックも用意されていた.実習を交えて,結局夕方まで続いた.
 泊まっていた民家の周辺.この辺では約1mの高さまで津波が押し寄せた.いたるところ泥だらけ.
 同じく,宿泊先の近く.有刺鉄線に絡まったゴミの位置で津波の到達高さが推定できる.


 バンダアチェ市内の様子.津波は海岸線から数km内陸にまで押し寄せた.津波に襲われた地区とそうでない地区には歴然とした差があり,わずか1〜2mの高低差が明暗を分けた.

もと警察の本部があった場所.ヘリコプターの残骸が見える.バンダアチェ周辺では警察官も約1000人が犠牲になったという.
バンダアチェ中心部のモスクの塔.街のシンボル.この前から各国のレポーターが現地の状況を発信したので,すっかり有名になった.地震の揺れで一部破壊されているが,堂々と聳え立っている.
同じくモスク.モスクは津波の破壊を免れたものが多い.被災者の物心両面の支えとなった.この場所も数mの津波が押し寄せた.
バンダアチェの海岸部近く.解説不要.
バンダアチェの海岸部近く.湾内で操業していた発電船が陸に乗り上げた.そのまま陸上で発電を続けている.
バンダアチェの海水浴場跡.沖合いにもとのコンクリート岸壁の残骸が点在している.つまり,そこまでが海岸線だった.地震による地盤の沈降と津波による侵食の跡は,これから西海岸でいやというほど目撃した.
見渡す限り津波の破壊の跡.どこまでも続く.
 GPS観測開始.といっても,三角点の所在地を示す詳細な記録を入手できたものは少ない.座標値だけはわかっているので,ハンディGPSを頼りに三角点を探し出す.
(文中の観測点番号は今回の観測に便宜上用いたもので,公式のものではない)
街中の道路の中央分離帯にある三角点(見えないが).足元の土を数cm除くと,金属標が顔を出した.中央の人物は,シアクアラ大学地球物理学科の主任のディディク氏で,今回の観測では非常にお世話になった.
バンダアチェ市西部の0250観測点をハンディGPSでたどると,津波で破壊された住宅街の中に入っていった.海岸線から数百m.
0250観測点の標石は,津波が進行した方向へ傾いていた.傾斜量を推定して,後日ここでもGPS観測を行った.
0250観測点の周りはこんな感じ.
バンダアチェ市内の市場は津波で破壊されたので,別な場所に新しい市場ができて,そこは賑わっている.遠くの観測点へ出かけるので,食堂で弁当を作ってもらう.白飯の上に肉,魚,野菜などの煮つけを乗せてと辛いソースをかけたもの.防水紙にくるんで丸めて出来上がり.数十円でお腹いっぱいになる.現地の人をまねて手で食べた.
バンダアチェを出て西海岸へ向かう.大きなセメント工場があり,ここまでは道路が整備されている.工場のすぐ前の港に停泊していた船が陸に乗り上げ,道路をふさいでいる.右側の石炭運搬船には,まだ石炭が満載されている.後日,このすぐ近くに0251点を新設した.
セメント工場を過ぎてさらに海岸線を南下する.道路はずたずたになっており,未舗装のでこぼこ道が続く.
途中に被災者のキャンプがいくつもあるが,それまでの村の大きさから判断して,どこも非常に小規模である.生存者の少なさを示すものか.
橋のほとんどは破壊されていて,軍隊によってこのような仮設橋が架けられている.工事はすべて軍が行っていた.
画面の中央右側に0260観測点がある.もとは小学校とか.道路と学校の間には元は橋があったか? 満潮時には水没していた.
0260観測点.津波で水没したが破壊は免れた.今後,この地域の地殻変動を議論する際の中心的な点となる.2日間にわたって観測した.バンダアチェ市内からここまで約1時間半.
0260観測点に器材を設置しているところ.
0270観測点は海岸線を走る道路を離れて,山の上にある通信施設の中にある.そこへ登る途中から北を見ると,湾に面した平地のすべてが水没した様子がよくわかる.
上の写真で水没したところの現状はこのよう.
0270観測点での観測風景.通信施設ということで政府軍が常駐している.最初,無断で入り込んで不審者と間違えられた.
セメント工場近くにかろうじて水没を免れた小高い丘がある.この上に臨時の観測点を作ることにした.地上はすべて破壊されていて,今後復興が進むと,地上に作った観測点が生き残るとは思えない.
丘の上に大きな岩がある.岩に穴を開ける道具がなかったので,合成樹脂接着剤で岩のくぼみに直径3cmの金属標を埋め込んだ.
丘の上から南を望む.陸の上に船.非日常の世界だが,すでにこの頃は感覚が麻痺してきた.
丘の上から北を望む.この写真のはるか右手まで津波が入っている.
0270観測点からさらに南下する.沈降と侵食で海岸線沿いの道路そのものがなくなっている場合も多い.内陸部に新しい道路を作っているが,悪路にタイヤを取られて車は頻繁にスタックする.スタックしたダンプがブルに押してもらっているところ.我々の乗った車も一度スタックした.
丘を削って新しい道路を通している場所もある.
海水中から木が生えるはずもなし,海岸沿いの並木が,沈降によって水没した.沈降は1m程度か.0260観測点のすぐ近く.
0280観測点.海岸から約200m.内陸に向かって大きく傾いている.流失物がぶつかったと見えて損傷も大きい.それでもここで観測した.芝の切れ目と標石の染みから埋設位置を推定し,元の中心位置を割り出した.設置誤差が大きいのは承知の上.地震による大きな変位(〜1m)が予想される.
0280観測点のまわりにはヤシの木がパラパラ生えているだけで,ほかには日陰が全くない.日差しは暑いというより痛い.偶然通りかかったヤシの実取りのおじさんに頼んで,適当な実をいくつか落としてもらう.
今回の我々が到達した最南端.橋が海に伸びている? 道路がスッポリなくなっていた.この辺では生存率が非常に低かったらしい.
0290点での観測を目指したが,ハンディGPSが示す三角点の位置は数十m先の海の中だった.バンダアチェ市内から悪路を約2時間半.
2005年3月8日,観測を終えて.疲れた,暑かった,早くビールが飲みたい.

(名古屋大学の大田君撮影)
Part 1 導入編
Part 2 神津島・銭洲編
Part 3 北マリアナ編