生体機能物質工学実験 II

2‐3. PCR によるヘモグロビン cDNA の増幅

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はじめに

さて、ここまでの実験で、カリガネエガイの赤血球から抽出した RNA を
鋳型として cDNA を合成することができました。合成された cDNA は
”ポリ (A)+ RNA の全て” が鋳型となっており、特定の mRNA から
選択的に作ったものではありません。これから行う実験は、そうして作った
cDNA プール(いろいろな遺伝子の mRNA に対する cDNA がごちゃ混ぜに
入っている)の中から、特定の遺伝子の cDNA を取り出す作業です。
DNA を出発材料とする通常の PCR に対して、RNA の逆転写によって
合成した DNA を鋳型とするこの手法を、 Reverse Transcriptase
(あるいは Reverse Transcription)-Polymerase Chain Reaction
(略して RT‐PCR) といいます。

この実験では、赤血球特異的なヘモグロビンの cDNA を増幅します。
実は、カリガネエガイのヘモグロビン cDNA の塩基配列は、既にわかって
いるので、ここではその配列を参考に人工合成したプライマーを利用して
Polymerase Chain Reaction (PCR) を行い、ヘモグロビン cDNA
だけを増幅します。PCR の原理と方法については、専門コアの
物質科学実験 CIII で既習のはずです。また、どんな教科書でも必ずと
言っていいほど解説されていることを、あらためて下手な文章でここに
書くのもくやしいので書きません。ここで行う実験の原理については、
以下の参考書に詳しく載っていますので、一つくらいは読んでみましょう。



知っておかなければならないこと

今回の実験で用いるカリガネエガイのヘモグロビンは、鈴木先生らによって
単離されており、その塩基配列が完全にわかっています。しかし、これは
”実習だから”なのであって、通常、研究対象となる cDNA は未知の場合が
多いです。塩基配列が未知の cDNA を単離する場合、その cDNA に関して
何らかの情報が必要です。今回のようにヘモグロビンの cDNA がほしい場合
には、ヘモグロビンが赤血球で大量に発現していることや、いろいろな動物に
共通した「ヘモグロビン特有のアミノ酸配列」などを手がかりにして、cDNA を
単離することができます。
 今、仮にカリガネエガイのヘモグロビン cDNA の塩基配列がわからない
とします。その場合、まず、ヘモグロビンタンパクを赤血球から精製し
(赤血球タンパクに占めるヘモグロビンの割合は非常に高いので精製は
比較的簡単です)、タンパクの N 末端のアミノ酸配列を直接決定します
(タンパク質化学で習った?)。あるいは、ほとんど全ての動物のヘモグロビン
の間で完全に保存されているアミノ酸配列を探します。そして、そのような
アミノ酸をコードし得る全ての塩基配列を検討し(これは数分で済む単純作業
です)、それらのプライマーの混合液を作ります。このようなものを
degenerate primer といいます(図 1)。
 

図 1  例えば [Met-Ala-Asn-Gln-Leu-Glu-] というアミノ酸配列に
対する degenerate primer を作るとすると上のようになる。
この場合、4 x 2 x 2 x 2 x 4 x 2 = 256 種類のプライマーの
混合物となる。また、Leu に対するコドンは 6 種類だが、このように
してプライマーを作ると Leu の部分が 8 通りになり、本来 Leu を
コードしない TTT や TTC のような配列もプライマーの中に含まれて
しまう。
Degenerate primer ができたら、このプライマーを使って PCR を行います。
このとき、degenerate primerの相手側にはアダプタープライマー
[5'-GACTCGAGTCGACATCG-3'] を使います。これは、前の実験で逆転写に
使ったdT‐アダプタープライマー
[5'-GACTCGAGTCGACATCGATTTTTTTTTTTTTTTTT-3'] の 5' 側の配列です。
この組み合わせで PCR をすれば、いろいろな種類の cDNA の中から、
ヘモグロビンの cDNA が選択的に増幅されることを期待できます。
 通常、より特異的な増幅を求めるときには、両方のプライマーとも、遺伝子
特異的なプライマーを使います。アダプタープライマーを用いて上手に増幅
できれば mRNA の 3' 末端までをカバーする cDNA を手に入れることが
できますが、アダプタープライマーは逆転写によってできた全ての cDNA に
アニーリングしますので、非特異的な増幅が起こる場合があります。

他にも、未知の遺伝子の cDNA を単離する戦略はいろいろありますので、
調べてみましょう。また、そのような技術、それによって得られた成果などは
「遺伝子工学」「発生工学」「細胞工学」などで紹介されるかも知れません。

さて、ともかく、この実験では、塩基配列がはっきりとわかっている cDNA を
増幅するので、使用するプライマーは degenerate ではなく、カリガネエガイの
ヘモグロビン cDNA と完全にマッチする、たった 1 種類の配列です。
 


実験

1. PCR の反応液を作る。
   逆転写反応の待ち時間に以下の試薬を混ぜ、氷冷しておく。
   これで 6 人分の量であるが、これを 5 人で使う。
    滅菌水を 202.5 μl
    10x PCR バッファーを 30 μl
       [100 mM Tris-HCl (pH 8.3), 500 mM KCl, 15 mM MgCl2,
        0.01% ゼラチン]
    dNTP mixture を 24 μl
       [4 種類のデオキシリボヌクレオシド三リン酸(dNTP)を
        各 2.5 mM になるように溶かしたもの]
    25 pmol/μl アダプタープライマー (上述)を 6 μl
    25 pmol/μl ヘモグロビンプライマー (a) を 6 μl
    5 units/μl Taq DNA ポリメラーゼ (b) を 1.5 μl

   注: 今回は RNA を扱うわけではないが、やはり細心の注意を要する
     理由がある。それは、PCR 法がごく微量の鋳型を多量に(数十万倍
     から数百万倍に)増幅する手法だからである。わずかに混入した
     自分の細胞(指先などから)の DNA が鋳型となって、自分のヘモ
     グロビン遺伝子の断片が増幅されるかも知れない。フタを開ける
     ときにフタの内側に触らないように。マイクロピペットのチップを
     素手で触ったり、チップの先を机やノートにつけたりしないように。
     
2. 反応液を 45 μl とって PCR 用の 0.5 ml チューブの底に入れる。

3. 各自の cDNA を 5 μl 加え、よく混ぜる。
   前の実験で合成し、TE バッファーで希釈した cDNA プールから、
   5 μl をとって、PCR 反応液と混ぜる。

4. ミネラルオイルを反応液の上に載せる。
   高熱での水分の蒸発を防ぐためである。液面が完全にオイルに
   覆われていればよい。
   注: ミネラルオイルを入れた後は振り混ぜない。

5. サーマルサイクラーにチューブをセットして、PCR 反応開始。
   温度条件(プログラム)は以下のとおり。
    プログラムをスタートした後、 HOLD キーを押してプログラムを
   一時停止させる。そして、ヒートブロックが 95℃ になったら
   チューブをセットし、再び START キーを押してプログラムを
   再スタートさせる。
    特に最初の温度上昇が緩やかだと、温度上昇の途中で
   プライマーが”似てるけどちょっと違う”配列にもアニーリングして
   非特異的な増幅が起こりやすくなるためである。もっとよい方法
   は、最初の反応液を作るときに酵素を入れずに作っておき、
   95℃ になったところに酵素を入れるという方法である。つまり、
   鋳型もプライマーも完全に 2 重らせんがほどけた状態で酵素を
   入れるのである。こういった作業が楽にできるような製品も
   何種類か市販されている。

   (1) 95℃ で 2 分
   (2) [ 94℃ で 30 秒、55℃ で 1 分、72℃ で 1 分 30 秒 ]
       を 30 回繰り返す。
   (3) 72℃ で 3 分の後、15℃ で保温。

   上の(1)、(2)、(3)が順に自動的に温度が変化する。15℃ になったら
   反応終了。全過程で約 2 時間半くらい。実習の時間が限られている
   ので、片づけは教官がやる。PCR 反応液は、次の実験の日まで
   冷蔵庫で保存しておく。
 


実験に使う試薬

(a) ヘモグロビンプライマー

[5'-AAAGGATCCATGAGTAAACCAGCTGAAGCC-3']
5' 末端から 9 塩基はヘモグロビンの cDNA の配列とは異なっている。
その意味については、2‐4 で明らかに・・・。
10 塩基めからの配列 [ATG-AGT-AAA-CCA-GCT-GAA-GCC]は
翻訳領域の N 末端の配列であり、[Met-Ser-Lys-Pro-Ala-Glu-Ala]
というアミノ酸をコードしている。
(b) Taq DNA ポリメラーゼ
Thermus aquaticus という好熱性細菌からとられた DNA 依存性 DNA
ポリメラーゼ。PCR に用いられる酵素の中で最もポピュラーであるが、
proof-reading 機能が弱く、しばしば間違ったヌクレオチドを取り込む
ことが知られている。また、合成した鎖の 3' 末端に、鋳型と無関係な
アデニンヌクレオチドを 1 個付加するクセがあり、これを利用して
効率よくプラスミドに組み込むような手法も開発されている。詳しい
情報については「はじめに」の中で紹介した本を読むこと。今回の
実習で使うのは宝酒造製。



ヘモグロビン(Bv.II) cDNA の塩基配列

全長 690 塩基である。3' 末端にポリ (A) 配列があるが、それは cDNA の
長さには入れない。3' 末端から 18 塩基上流にある [AATAAA] 配列は
ポリ (A) 付加シグナルという。

Q: 翻訳領域はどこからどこまででしょう?
 

GCGCTTACTC CCTTTCTGAG AAAGACACTT ATTTAGATCA CCGCTGCAGA ATTAGAGCCT

AAGAATGAGT AAACCAGCTG AAGCCATTGC TGCTGTGACA CAGCCAGACG TCAAAGCAGC

ACTCAAGTCC TCATGGGGTC TACTGGCTCC CAATAAAAAG AAGTATGGTG TTGAGTTAAT

GTGCAAGTTA TTTTCATTGC ACAAAGATAC CGCTCGATAC TTCGAACGGA TGGGGAAGCT

TGATGCAAAC AATGCAGGAA GTAACCGAGA GTTGATCGGA CACGCTATTT ACCTTATGTA

TGCAATTGAA TCATTTGTGG ATCAACTTGA CGACCCTAGC ATCGTAGAAG ATATTGGTCG

TAACTTTGCA TATAGACATT TAAAGAGGGG TATTGGAAGC AAATCATTTT CGGTGATCCT

CGACACACTT GATCAATTTC TCGGAGATTC ATTAGGAGTT AACTACACCG CAGAAGTTAA

AGATGCATGG GAGAAACTTG TTAAAGTTAT CTTGGCCCTT CTTGATGATG AGAAAAAGTG

AATGAAATGA CATTAAATAA TACAAAATGT TCATAACATA AGAAACATTG TCTGCAAAAT

GCTCTCTTCT CTGCGCAAAA CTGCAAAACT TTTAATATCT TATTGTTAAT TTATGTGTTC

TTGTCTCTTG AAAATAAAAA TTTTAAGTTG
 


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