南四国における更新世後期以降の植生変遷史
中村 純高知大学名誉教授の研究をもとに,高知県南国市伊達野および香美郡野市町で得られた花粉分析結果から,晩氷期から現在までの高知平野における植生の変遷を紹介します.
L帯(今から1万5千年前〜1万年前)
1万5千年前といえばヴュルム氷期の末期にあたり,この時代のことを晩氷期といいます.
野市町で得られた堆積物の大部分はこの晩氷期にあたる時代に堆積したもので,モミ,ツガやナラ類の花粉が優勢で,その他にハリモミ,ブナ,シデ類およびマツの花粉も含まれています.草本花粉では,ヨモギ,イネ科,カヤツリグサ科が多く出現します.しかし,現在の高知市周辺で見られるシイやカシの類の花粉は全く出現していません.このような植生は,高知市の北方に位置する県民の森である工石山(標高1,176 m)の山頂か,もう少し海抜高度の高い所の植生に相当します.しかも,照葉樹林の要素が見られないことから,年平均気温は現在より5 〜6℃ほど低かったと考えられます.このような晩氷期にあたる寒冷な時期を花粉分析による時代区分の上ではL帯と呼んでいます.
RI帯(1万年前〜8千年前)
野市町の堆積物の上部と伊達野の下部は,時代的にみて一致するか多少重複すると考えられています.この時期にはハリモミが消滅し,ナラ類が優勢となります.マツ類,モミ,ツガなどの針葉樹は伊達野の下部ではまだ優勢ですが,上方に向かって徐々に減少していきます.また同時に,ケヤキが出現し始めます.このような植生の変化が起こったのは約1万年〜8千年前で,氷期は終わったもののまだ現在よりもやや寒冷であった時代であり,花粉帯ではRI帯と称しています.ここで注目すべきことは,RIの中期以降にカシ類が出現することです.このカシはアカガシかウラジロガシと推定されます.両者とも,現在は暖温帯の上部まで分布している種です.RI帯の高知市周辺の植生には,モミ,ツガ,ナラ類,ケヤキに常緑性のカシ類も加わっており,さらに少数のブナも生育していたと考えられます.この植生は,現在の高知県では海抜約700〜1,000 mに見られる植生です.また,所々には池沼などもあったようで,水草のヒルムシロの仲間の花粉も検出されています.
RII帯(8千年前〜4千年前)
8千年〜4千年ほど前のことを花粉帯でRII帯といいます.この時代の初めにシイ類が登場します.前花粉帯から生じたカシ類は,この時代に入ってさらに増加します.少数であるがナギの花粉も検出されており,さらにヤマモモがこの時代の中頃から出現します.これら照葉樹林要素の植物の多くは,晩氷期末までは寒さを避けて足摺岬や九州南部,さらには南西諸島などの暖かい地方に避難していたと推定されています.その後,気候の温暖化とともに,しだいに高知平野に分布域を広げてきたのでしょう.それらのうちでも,まずカシの仲間が最初に出現し,次いでシイがその後を追うように侵入しました.一方,モミやツガは高知平野をとりまく丘陵地の上部にその分布域を変えていきました.こうしてRII帯の中期はうっそうと茂った照葉樹林が高知平野に出現しました.この頃が氷期が終わってから現在までの間(後氷期)で最も温暖な時期であったと考えられています.
RIII帯(4千年前〜現在)
このように発達してきた照葉樹林ですが,4千年前頃から変動の兆しが認められます.その頃から現在までを花粉帯でRIII帯と呼んでいます.伊達野のRIII帯では,モミ,ツガ,シイ,カシなどが短期間に増減を繰り返しますが,一方でイネ科植物が急激に増加しています.このような植生の変動が生じた原因として,1)この時期の気候がRII帯よりもやや冷涼になったこと,2)この時期に雨が多く降ったと考えられる期間があること,3)人間活動の活発化が挙げられます.RIII帯に相当する時代の気候がRII帯より冷涼化したことは,少なくとも北半球ではかなり広く認められており,この気候変動が照葉樹林をいくらか不安定なものにさせ,あるいは一部を後退させたのかもしれません.また,多雨期には丘陵地などでは土壌が侵蝕されて流出し,森林の発達が一時的に阻害され,その部分に草本群落が広がったことも考えられます.さらに人類の干渉による森林の変化も考慮に入れなければなりません.高知平野におけるRIII帯,特にその後半の森林変動の最も大きな原因は,農耕をともなった人間活動であると考えられます.その最たるものが現代で,開発,都市化,造林地の拡大などにより,約5千年前には全盛期を謳歌していた照葉樹林が,今や市街地のかたすみの社寺林などでほそぼそと生育している現状となってしまいました.
(参考文献)
中村 純 (1965) 高知県低地部における晩氷期以降の植生変遷. 第四紀研究, 4: 200-207.
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