化石花粉からみた昔の植生



 
花粉分析とは?
 花粉は,有性生殖において重要な精細胞あるいは精子の担い手であり,種子をつくり次の世代を残していく上で大きな役割をもっています.花粉の大きさは植物の種類によって様々ですが,その長径が20〜60μmの範囲にあるものが多いです.したがって,肉眼ではその細部まで観察することはできません.花粉の形は植物の種類によって大きく異なっていて,まるで私たち一人一人の顔が違うように,それぞれの花粉は自分の個性を主張しているようにみえます.
 しかし,実際に受精にあずかる花粉の数はごく少なく,大部分の花粉は本来の目的を果たせないで地上に落下してしまいます.地上に落ちた花粉は生殖という本来の目的を達成できなかった落伍者です.しかし,地上に落ちた花粉は条件さえよければ土の中に化石となって数万年以上も残り,過去の植生や周囲の環境の変化を私たちに教えてくれます.
 さてこの花粉ですが,その外壁は大変丈夫で,ふつう土の中にたくさん含まれています.土壌乾燥重量1 gあたり100万粒を超える化石花粉が含まれていることもあります.それぞれの化石花粉は,それらを散布した樹木が生きていた時代の植物相の組成と量的関係を反映しており,各時代ごとに堆積したものが時間の軸に沿って層を成しています.したがって,堆積物の断面に沿った化石花粉の量的な変動はその散布樹種の動態を示しています.化石花粉を調べることで,過去の植生の構造・組成や分布状態,さらにそれらに関連する環境の変化を調べる手法を「花粉分析」と呼んでいます.
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日本列島における今から約2万年前の植生分布と環境
 今から約200万年前から現在までを地質年代で新生代第四紀と称しています.この第四紀を一口でいえば,人類と氷河の時代だといえます.我々と同じホモ属が現れ急速に人類が進化したことと,地球的規模で何回かの氷河期(以下氷期という)が生じ,その時期には北半球にも広大な氷床が認められたことが大きな事件です.さてこの時代,果敢にも人類は熱帯から亜寒帯まで,気候の違いを越え,大陸の違いを越えて地球全体に生息場所を広げ,その数を増やしました.一方,植物の方はどうでしょうか? 植物の分布は気候条件,特に気温によって左右されることはよく知られています.何度か繰り返された氷河の拡大と縮小は,当然植物集団の分布にも大きな影響を与えたに違いありません.
 ところで,何回か生じた氷期のうち,最も新しい氷期(現在を基準に考えると最後の氷期)をヴュルム氷期と呼びます.このヴュルム氷期は,現在より遡ること約12万年(あるいは7万年)前より始まり,およそ1万年前まで続きました.そのうちでも約2.5〜1.5万年前頃が最も寒冷な時代であったといわれています.この時期地球上で氷河に覆われている地域は現在の約3倍の広さに拡大しており,ヨーロッパではドイツ平原あたりまで氷床が広がっていました.日本ではこの時期に厚い氷床が低地を覆うことはなかったものの,日本アルプスや北海道の日高山脈などの山岳地帯には圏谷氷河(山地氷河の一つ)が存在していました.また,海水が凍結したため,海表面が今よりおよそ80〜140 mも低下して,サハリンと北海道は宗谷陸橋で陸続きになっていました.九州北部は対馬及び壱岐と繋がって朝鮮半島の方に大きく張り出していました.そのため,対馬暖流は日本海を通じてオホーツク海へ流入しなくなり,特に北海道の北部は寒冷なオホーツク海と現在より南下していた北極前線の影響を強く受けていたと考えられています.
 さて,ヴュルム氷期最寒冷期の日本の植生分布ですが,日本各地の花粉分析結果をもとにすると現在のそれとはかなり異なっていたようです.北海道南西部から中部地方の低地帯に至る地域と西南日本の山地帯には,現在北海道の北部に分布する亜寒帯針葉樹林が広く進出し,現在西日本の低地帯を覆っている暖温帯常緑広葉樹林は,おそらく冬の寒さを避けるために九州南部に後退していたことでしょう.東北地方の亜寒帯針葉樹林には北方系の針葉樹であるエゾマツ,アカエゾマツ,トドマツなどに,本州の亜高山帯要素であるシラビソ,アオモリトドマツ,コメツガなどが混じっていたようです.照葉樹林の要素の中でカシ類は房総半島以南の沿岸地域に小集団として生育していました.しかし,沿岸域には温帯性の針葉樹および落葉広葉樹の混交林が優勢であり,カシ類が森林の優占種であったとは考えられないため,やはり真の意味での常緑広葉樹林は四国南部の沿岸域や南九州に限られていたようです.
 北海道北部には,永久凍土層をもつ寒地草原(ツンドラ)が発達していました.ツンドラから亜寒帯針葉樹林に移行する地域では,寒地草原や,ハイマツや現在日本では絶滅してしまったグイマツに,矮性のカバノキやツツジの低木などの混じった疎林が生じていたと推定されています.
 亜寒帯及び亜高山帯針葉樹林の南限もしくは下限から西南日本の沿岸部を除く低地帯には,ハリモミやモミ,ツガなどを主な構成要素とする温帯針葉樹林が優占し,西南日本の沿岸域には温帯性の針葉樹およびブナを主とする落葉広葉樹が分布していました.西南日本の低地帯では,落葉広葉樹に必要な夏期の有効降水量も著しく減少して,ブナやナラ類はやや雨量や霧の多い氷期の沿岸地帯に主に分布していたと考えられています.
 このように日本の植生分布は最終氷期から後氷期を通した気候変動とともに,大きな変化を遂げてきたことが分かります.
 
(参考文献)
那須孝悌 (1980) ウルム氷期最盛期の古植生について. ウルム氷期以降の生物地理に関する総合研究, 55-66.
Tsukada, M. (1988) Section III-2: Glacial and Holocene vegetation history -20 ky to present (Japan). In: Vegetation History (eds B. Huntley & T. Webb, III.), pp. 459-518. Kluwer Academic Publishers, Dordrecht.
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南四国における更新世後期以降の植生変遷史
 中村 純高知大学名誉教授の研究をもとに,高知県南国市伊達野および香美郡野市町で得られた花粉分析結果から,晩氷期から現在までの高知平野における植生の変遷を紹介します.

L帯(今から1万5千年前〜1万年前)
 1万5千年前といえばヴュルム氷期の末期にあたり,この時代のことを晩氷期といいます.
 野市町で得られた堆積物の大部分はこの晩氷期にあたる時代に堆積したもので,モミ,ツガやナラ類の花粉が優勢で,その他にハリモミ,ブナ,シデ類およびマツの花粉も含まれています.草本花粉では,ヨモギ,イネ科,カヤツリグサ科が多く出現します.しかし,現在の高知市周辺で見られるシイやカシの類の花粉は全く出現していません.このような植生は,高知市の北方に位置する県民の森である工石山(標高1,176 m)の山頂か,もう少し海抜高度の高い所の植生に相当します.しかも,照葉樹林の要素が見られないことから,年平均気温は現在より5 〜6℃ほど低かったと考えられます.このような晩氷期にあたる寒冷な時期を花粉分析による時代区分の上ではL帯と呼んでいます.

RI帯(1万年前〜8千年前)
 野市町の堆積物の上部と伊達野の下部は,時代的にみて一致するか多少重複すると考えられています.この時期にはハリモミが消滅し,ナラ類が優勢となります.マツ類,モミ,ツガなどの針葉樹は伊達野の下部ではまだ優勢ですが,上方に向かって徐々に減少していきます.また同時に,ケヤキが出現し始めます.このような植生の変化が起こったのは約1万年〜8千年前で,氷期は終わったもののまだ現在よりもやや寒冷であった時代であり,花粉帯ではRI帯と称しています.ここで注目すべきことは,RIの中期以降にカシ類が出現することです.このカシはアカガシかウラジロガシと推定されます.両者とも,現在は暖温帯の上部まで分布している種です.RI帯の高知市周辺の植生には,モミ,ツガ,ナラ類,ケヤキに常緑性のカシ類も加わっており,さらに少数のブナも生育していたと考えられます.この植生は,現在の高知県では海抜約700〜1,000 mに見られる植生です.また,所々には池沼などもあったようで,水草のヒルムシロの仲間の花粉も検出されています.

RII帯(8千年前〜4千年前)
 8千年〜4千年ほど前のことを花粉帯でRII帯といいます.この時代の初めにシイ類が登場します.前花粉帯から生じたカシ類は,この時代に入ってさらに増加します.少数であるがナギの花粉も検出されており,さらにヤマモモがこの時代の中頃から出現します.これら照葉樹林要素の植物の多くは,晩氷期末までは寒さを避けて足摺岬や九州南部,さらには南西諸島などの暖かい地方に避難していたと推定されています.その後,気候の温暖化とともに,しだいに高知平野に分布域を広げてきたのでしょう.それらのうちでも,まずカシの仲間が最初に出現し,次いでシイがその後を追うように侵入しました.一方,モミやツガは高知平野をとりまく丘陵地の上部にその分布域を変えていきました.こうしてRII帯の中期はうっそうと茂った照葉樹林が高知平野に出現しました.この頃が氷期が終わってから現在までの間(後氷期)で最も温暖な時期であったと考えられています.

RIII帯(4千年前〜現在)
 このように発達してきた照葉樹林ですが,4千年前頃から変動の兆しが認められます.その頃から現在までを花粉帯でRIII帯と呼んでいます.伊達野のRIII帯では,モミ,ツガ,シイ,カシなどが短期間に増減を繰り返しますが,一方でイネ科植物が急激に増加しています.このような植生の変動が生じた原因として,1)この時期の気候がRII帯よりもやや冷涼になったこと,2)この時期に雨が多く降ったと考えられる期間があること,3)人間活動の活発化が挙げられます.RIII帯に相当する時代の気候がRII帯より冷涼化したことは,少なくとも北半球ではかなり広く認められており,この気候変動が照葉樹林をいくらか不安定なものにさせ,あるいは一部を後退させたのかもしれません.また,多雨期には丘陵地などでは土壌が侵蝕されて流出し,森林の発達が一時的に阻害され,その部分に草本群落が広がったことも考えられます.さらに人類の干渉による森林の変化も考慮に入れなければなりません.高知平野におけるRIII帯,特にその後半の森林変動の最も大きな原因は,農耕をともなった人間活動であると考えられます.その最たるものが現代で,開発,都市化,造林地の拡大などにより,約5千年前には全盛期を謳歌していた照葉樹林が,今や市街地のかたすみの社寺林などでほそぼそと生育している現状となってしまいました.
 
(参考文献)
 中村 純 (1965) 高知県低地部における晩氷期以降の植生変遷. 第四紀研究, 4: 200-207.
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