生体機能物質工学実験 II

2‐1. 動物組織からの全 RNA 抽出

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はじめに

遺伝形質が発現する”(”遺伝子が発現する”ための最初のステップは、遺伝子 DNA の
塩基配列を mRNA にコピーする作業(転写)です。mRNA は DNA の塩基配列を RNA の
塩基配列に写し取ったものです。次のステップは、mRNA の塩基配列をアミノ酸の配列に
読み換える作業(翻訳)です。この一連の作業を経て機能するタンパク質が生産されます。
  この実験では、動物細胞から、mRNA を抽出・精製する方法を学びます。実験の方法は
Chomczynski & Sacchi (1987) Analytical Biochemistry, 162: 156-159.
で発表された方法(acid guanidinium thiocyanate-phenol-chloroform extraction 法=
略して AGPC 法)を少しだけ改変したものです。
  この方法では、強力なタンパク質変性剤を含む水溶液中で細胞を溶かし、フェノール/
クロロホルム抽出によってタンパク質を沈殿させます。このとき溶液を酸性にすることにより、
DNA がフェノール/クロロホルムの層に行き、 RNA だけが水層に残ることを利用して、
1 ステップで RNA を抽出・精製します。得られるのは rRNA、tRNA、mRNAなどの混合物です。
細胞内の RNA の 80% 以上は rRNA であり、残りの大部分は tRNA です。 mRNA は全
RNA 中の数パーセントに過ぎないのですが、 cDNA を PCR で増幅するような実験や、
特定の mRNA の発現量を調べるような実験には、通常全 RNA で十分です。
 


知っておかなければならないこと

RNA は DNA と比べて非常に不安定で分解されやすいので、作業中に RNA 入りの
チューブに空気中のホコリが入ったり、チューブのフタの内側などに手を触れただけで、
中の RNA が分解してしまうことがあります。また指先や汗、空気中のホコリなどから容易に
混入する RNA 分解酵素は、逆に非常に安定なタンパクで、100℃ で 10 分煮ても、室温に
戻れば再び活性を取り戻します。従って、RNA を用いる実験は、多くの分子生物学的実験の
中でも最も注意を要するものです。
  試薬の多くは RNA 分解酵素の阻害剤であり不活性化剤であるジエチルピロカーボネート
(DEPC)で処理して、RNA 分解酵素が全く含まれないようになっています。ところが、
DEPC は人体(正常な細胞)にとって致命的な毒であるので、その意味でも、実験は細心の
注意を払って行われなければなりません。
 


実験

1. カリガネエガイ(軟体動物斧足類)の赤血球を海水中に取りだし、エッペン
   ドルフ型チューブ(以後エッペンという)に分注したものを配るので、
   もらったエッペンをすぐに氷箱につけておく。

2. エッペンに Solution D (a) を 300 μl 注ぎ、素早くボルテックス
   をして細胞を溶かす。
   注: このときフタをきっちり閉めておくこと。液が手につくと手が荒れるので
   すぐ洗う。

3. 1.5 M 酢酸ナトリウム (b)(pH 4.0) を 40 μl 注ぎ、ボルテックスで
   混ぜる。

4. フェノール (c) を 300 μl 加えて、素早くボルテックスする。
   注 1 : みんなに渡すフェノールは黄色いフェノール層と無色の水層とに
       分離しているが、使うのは黄色い下層の方なので間違えないように。
   注 2 : このときは特に注意してフタをきっちり閉めること。

5. クロロホルム/イソアミルアルコール混合液 (d) を 100 μl 加え、
   素早くボルテックスする。
   ここでは、30 秒ほど念入りにボルテックスするか、あるいは激しく上下に
   振り混ぜる。ここまでの作業でタンパク質を変性させる。

6. 氷に 15 分つけておく。

7. 遠心分離(13,500 rpm で 15 分)
   注: 今後、特に指定がなければ、回転数はいつも 13,500 rpm で行う。

8. 遠心機から静かに取り出す。黄色い下層(フェノール/クロロホルム/
   イソアミルアルコール層)と無色の上層(水溶液層)とに分離していて、
   その間に白い沈殿物(タンパク質など)が見えるはず。このとき、通常
   行われるフェノール抽出とは異なり溶液が酸性に保たれているので
   DNA は水溶液層ではなくフェノール層に行ってしまう。従って、水溶液
   層には DNA やタンパクはほとんど含まれず、RNA だけが回収される、
   という仕組み。
   
9. 上層(水溶液層)のみを取り、新しいエッペンに移す。

10. 等量(約 450 μl のはず)の 2-プロパノールを加え、よく混ぜる。
   RNA が沈殿して、白くにごる。

11. 氷に 20 分つけてから、遠心 15 分。

12. RNA の沈殿(底にくっついているはず)をとらないように、
   液をできるだけ完全に捨てる。

13. もう 1 度、Solution D を 300 μl 加え、ボルテックスで沈殿を溶かす。

14. 等量(300 μl)の 2-プロパノールを加え、よく混ぜて氷に 20 分つけて
   から遠心 15 分。

15. RNA の沈殿をとらないように、液をできるだけ完全に捨てる。

16. 75% エタノールを 300 μl ほど加える。混ぜなくてよい。

17. 必要なら軽く遠心をした後、沈殿をとらないように、液を
   完全に捨てる。

18. 沈殿を乾燥させる。
   フタを開けて、ラップをかぶせて机の上におく。
   注: エッペンのフタの内側に手を触れたりしない。RNA は非常に
     分解されやすい。

19. 沈殿を DEPC 処理水 (e) 100 μl に溶かす。

20. RNA 溶液の一部をとってアガロースゲル電気泳動を行い、
   RNA の量や品質をチェックする。(実習では省略するかも。)



実験に使う試薬

(a) Solution D

5.5 M チオシアン酸グアニジン(タンパク質の変性剤)
25 mM クエン酸ナトリウム(pH 7.0)
0.5% サルコシル(N-ラウロイルサルコシン・ナトリウム)(界面活性剤)
0.1 M 2-メルカプトエタノール(還元剤、タンパクの S-S 結合を切る)

注: 2‐メルカプトエタノール(2-ME)は直前に入れる。 2-ME を入れて
  いない溶液は室温で 3 ヶ月保存可。 2‐ME 入りの溶液は室温で1ヶ月
  保存可。

(b) 1.5 M 酢酸ナトリウム
1.5 M の酢酸ナトリウムを滅菌水に溶かし、酢酸で pH を 4.0 に合わせる。
大量の酢酸を加える必要があるので、最初に酢酸ナトリウムの粉を滅菌水に
溶かすときには水の量を少なめにしておく。
調製後、DEPC (後述)を加えて、よく振り混ぜ、37℃ で一晩おいた後、
オートクレーブ滅菌して使用する。
(c) フェノール
フェノールは室温で結晶。これを 65℃ 前後で溶かし、滅菌水あるいは
トリス塩酸バッファーで飽和させる。その後、EDTA、2-メルカプトエタノール、
8-ヒドロキシキノリンなどを加えたもの。
 用意したフェノールはフェノール層(黄色)と水層(無色)に分離している。
使うのは黄色い方のフェノール層の方であるから、間違えないように。
(d) クロロホルム/イソアミルアルコール混合液
クロロホルムとイソアミルアルコール(3-メチル-1-ブタノール)を 49 対 1
で混ぜたもの。
(e) DEPC 処理水
再蒸留水( 2 回蒸留した蒸留水)にジエチルピロカーボネート(diethylpyrocarbonate
= DEPC)を 0.1% になるように溶かし、37℃ で一晩おく。その後、オートクレーブで
DEPC を不活性化・除去して、使用する。
 DEPC は RNA 分解酵素の阻害剤であり、また不活性化剤である。DEPC 処理に
よって、試薬に混入している RNA 分解酵素は不可逆的に失活する。



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