過去の南海地震
それではこれまで歴史記録に残された南海地震はどのくらいあるのでしょう。地震の歴史記録についてもすべてが明らかになっているわけではありません。今後もっと新しい記録が発見されるかもしれませんし、いま見つかっている史料についても必ずしも解釈が一致しているわけではありません。下図はいくつかの文献をまとめたものです。

図7 歴史記録に残された南海、東南海、東海地震の発生時期と領域
今のところ昭和南海地震を含めて9回の南海地震が確認されています。1361年の地震以降はおおよそ百数十年に一回の割合ですが、それより前は二百年に一回の割合で地震が発生していることがわかります。これは地震の活動間隔が変わったと考えるよりも、古い記録がいくつか抜けていると考える方が無理がありません。
この図からは南海地震と東南海地震が連動して同時または同時期に活動していることもわかります。昭和では約2年、安政では約32時間、東南海地震の方が早く発生しました。宝永地震は南海、東南海、東海が同時に発生した巨大地震といわれています。
都司(2012)によれば、明応の南海地震は東南海地震よりも2か月ほど早く発生したとされています。必ずしも東南海地震が早いわけではないと考えておくべきでしょう。慶長地震では特に室戸の東岸など広い範囲で大きな津波が記録されていますが、地震の震害の記録はほとんどなく、どのような地震なのか実際には良く分かっていません。
東海地震は、昭和の南海・東南海地震の際にこの領域だけが活動しなかったため、空白域として地震が発生する可能性が高いと考えられました。しかし、この領域は過去に単独で活動した記録はなく、次の南海・東南海地震にともなって活動するのではないかと、近年では考えられるようになってきました。
(注:「東海地震」には、東端の駿河湾周辺のみの領域を示す意味と、紀伊半島より東側の東南海地震の領域も含む意味があります。ここでは混乱をさけるため、駿河湾周辺のみの意味で使用しています。正確には、安政東南海地震というものはなく、安政東海地震と呼ばれています。)